以外にもインド系の奥さんをもらうのはあんまり聞かない。

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おそらく、マレーシア人に来ている日本人の男性の多くは中華系の女性と結婚しています。
比較的 日本人に外見も内面もにているから、親近感があるのが理由かもしれません。
日本人にそっくりな中華系も時々町で見かけます。
 中華系女性とも付き合った経験がありますが、日本人女性よりより積極的でさっぱりした性格が多いです。
 ぶっきらぼうなことろもありますが、日本人に似た感覚はあると思います。

 

マレー系の女性ですが、ペナンの在住の方と1年くらいお付き合いしたことがあり、お互いに結婚を意識してたのですが別れてしまいました。
 別れた理由はいくつかありました。
一番難しいと思ったのは、ライフスタイルとか価値観が合わなかったことです。
最初は相手の文化に興味を持っていて新鮮に感じていました。
時間をたくさん共有すればお互い理解し違いを認め合えると期待してましたがダメでした。
相手の全てをありのまま受け入れたい、相手にもそうしてもらいたいと期待してましたが、そんなに単純ではなかった。
 一生自分自身に嘘をついて生きる勇気がなかったし、
 そもそも夫婦なのに自分の考え抑えて、相手に合わすのは不自然。
お互い違いをリスペクトできる関係を時間をかけでも築きたかった。と
途中でそれが無理だと悟ってしまった。

正直面倒くさいと感じ始めていました。
その後は、一気に気持ちも冷めて自然消滅になりました。

 

結局はインド系が自分にとって一番心地よかった。
とても自由だし、強制されることもないし。
外見的は日本人とはすべてにおいてかけ離れてるように見えますが、
以外にも日本に近いものがあります。
インドにも日本の古い迷信と同じようなものがけっこうあります。
仏教も含めインド文化は中国へ、そして日本に来ているので納得です。
インド系でもキリスト教もいますが、妻はインズー教で牛肉は食べません。
妻はまわりに強制はしないから、わたしは食べても問題なし。

食べ物や飲み物の制約はなく、健康にだけ気をつけるようにと常識的はスタンスです。
そもそも牛肉を食べない理由は牛は人間にとってありがたい存在なのでリスペクトの表れあり、決して汚いからではない。
神が創造したもに汚いものはなく、どう判断するかは個々の問題であるらしいです。
ヨガ、瞑想とかもそうですが、インドの精神世界や思想とかは凄いと思います。
ヒンズー教の寺院にはいろんな神の像がありますが、どれも奇抜で発想がユニークです。
それぞれに神の背景にストーリーがあり、聞くと物事に対する着眼点の深さに驚かされます。

夫婦といっても違う人間同士なので理解ができないことがあっても当然だとおもいますが、総合的に見て妻の価値観は自分のにかなり近いです。
高級志向ではなく、ふつうの物で充分に満足するので旅行や買い物などにも意見がなんとなく合います。
考えも柔軟で、教会でも仏教のお寺、神社でもふつうに行きます。
妻が言うには神様は大きな象みたいなものでみんなが触るけど、触る部分はみんなちがう、だから、触った感想もそれぞれ違う、口論になっても不思議ではない。

もっと客観的に物事は見るべき、視野を広げるべき。
神はひとつであって、自分が幸せに生きられることに感謝する存在、または対象にほからならない。
神はいったいどんな姿しているか、名前は何かはたいした問題にならない。
人間は肌の色、住んでいる場所はちがうけどみんな同じ人間、本当は宗教よりもっと大切なのがあるはず。

神と宗教は必ずしもイコールではない、

宗教は人間が関わってできている、神は常に純粋に存在している。

神の創造物をリスペクトすることは神をリスペクトすること、逆も同様。
妻の言うことは同感です。
宗教のために家族、自分をも犠牲する人も世の中にいるみたいですがよくわからないです。
みんな価値観がちがうので議論をしても永遠に終わりはないでしょうが、他人を傷つけないことが最低限のルールです。
自分の考えを他人に押し付けるのもルール違反だと個人的は感じるのですが、せめてアドバイスするレベルで止めておけば。
妻はわたしの考えをレスペクトしてくれているので、こちらも同様にリスペクトしています。